母校の六大学野球令和8年春季リーグ戦完全優勝おめでとうございます!

 「早慶戦」に救われた想いがあります。当時工学部では1年を日吉で学び、2年から武蔵小金井の学部に進級していました。

 昭和39年東大に二度落ちて、コンプレックスに落ち込んでいた頃、日吉で物理学を教えて頂いていた、当時大学院博士課程の学生であった三戸慶一先生から、早慶戦を見に行けば、コンプレックスを克服できるかもしれないと勧められ、それで救われるきっかけが得られました。

 とは言え、日吉での教養課程で、どの講義も興味がそそられず、特に物理と化学が前期赤点。後者が8点でした。なんで重箱の隅を問題に出すの?大学では本筋を学びたかったのにと、恨んでおりました。

 小金井2年生のとき、理化学研究所を経て母校に戻ってこられたYT先生から特訓を受け、その上、仲間を募って4年になる前まで週一で専門書の輪講を指導して頂きました。俄然やる気がでて、また、思いがけない優秀な学友たちに恵まれ、その勢いで今日まで生きてこられました。

 2年から修士1年まで、小金井寮に暮らし、3人同部屋というプライバシーのない生活で、人生に必要な‘仲間との暮らし’の基本を身に着けられました。

 社会に出てから気づいたのは、大学選びより、恩師に出会うチャンスがあるかが最も大事であること、自分の目標にまい進していれば、誰が見ていることなどです。

 機会あって、50代後半から、地方の大学の教員をさせて頂くチャンスに恵まれたとき、慶応義塾YT先生からのご恩を、学生たちにお返しする機会だと肝に銘じました。YT先生は、フェライト発明者で有名であった、恩師武井武先生から受けたご恩を私たちに還元できたと、語っておられました。

 これが福沢精神のひとつの形であったと、ひとり思っています。

 実は、私の父は明治40年理財化予科入学でありました。私が中学3年の秋に他界しましたが、幼い私はしっかり「独立自尊」を心のどこかにしまい込んでいたのかも知れません。

 大和三田会では、皆さんの武勇伝を伺うのを無上の楽しみにしております。