慶応義塾大学武蔵小金井寮

今は昔、工学部が武蔵小金井にあったころ、中央線の線路を挟んで北側に、20名が寝起きする「慶應義塾大学武蔵小金井寮」がありました。

三田からは遠いと言っても、三田の学生が半分以上占めていました。

流石、男子寮です。一年でも学年の上の‘先輩’には、年齢はこっちが上であっても‘さん’づけです。

20畳ほどの古畳部屋に学年の異なる3人の相部屋でした。

工学部の学生であった私は、当然毎日学校に行き、午前中は講義、午後は実験、夕方はレポート書きと、忙しい毎日を勉学に勤しんでおりましたが、文系の学生は違います。

午前中、殆ど布団のなか。昼間は麻雀か庭でのバレーボール。夜は酒盛り。寮のどこかの部屋で行うこともあるし、外に先輩が連れていってくれることもありました。

春と秋は、合コン。‘文化委員’が、津田塾大学や東京女子大学、日本女子大学、お茶の水大学などの寮とのバス旅行を企画します。

勿論欠席は病欠以外認めません。

私も一年文化委員を担当して、津田塾大学白梅寮との合コンを企画したことがありました。

そして、一組だけ、そこで知り合った人と結婚までこぎ着けた‘という成果’がありました。私ではありません。今も仲の良い夫婦でおられます。

一月に一度くらい、寮の先輩が訪ねてきて、社会の風を吹き付けていきました。

就職活動の時期になると、四年生が就職を希望している企業が雇った、‘探偵’が身元調査にやってきます。後輩たちが先輩に恩を売るのはこの時です。

さて、10年ほど前から、小金井寮卒寮者たちのOB会が隔年で夏、GINZA BRBにて開催されています。

寮に入った経緯、社会人になってからの‘活躍’、近況などを毎回一人15分以上話します。

これが面白い。誰かの伝記よりリアルなのがよい。

毎回ちょっとずつ参加者が変わりますが、20人前後の出席数です。

筆者は、寮時代、文系の先輩・友人たちがこんなに勉強しないなんて、やっぱり‘低能未熟だ’と密かに思っていました。

ところが、OB会で知る彼らの姿は、まばゆいばかりです。

私の同期で、鹿児島ラサール出身の経済学部卒S君は、京都ホテルの支配人だったし、私と同部屋だった一年後輩のS君は日本旅行の専務取締役だった。

また、剣道の明け暮れるために自由が利き生活費が安いのでアルバイトにも専念せずにすむと、入寮した先輩は、企業での大成にくわえて、日本剣道連盟か何かの重鎮だそうです。

八十をとうに過ぎて、剣道界のリーダーだそうです。

私は考えました。なぜ?なぜ?勉強しない連中が社会で成功している?そんな話を家内のいとこ会で、家内の従兄(稲門会)にしてみたら、そりゃ、人生へのやる気だよ!自尊心だよ!!

そう言われて納得した次第でした。

大和三田会 Y.N