大学時代を振り返って

今から60年前、一番入試突破が難しいのが理由で受験し、二度とも敗退。そして塾に進学した。

私は両親を早く亡くしていたので経済的事情から武蔵小金井にあった小金井寮に入った。

もともとわがままに育ったので、寮生活は辛かったが人間性を身につける修行だった。

そして小金井工学部。当時二年から専門に進む。

応用化学科で、二年の秋には理化学研究所から戻ったばっかりの山口講師(当時)に、英語論文の抄録作りという特訓を受けたり、カマキリ会という輪講のグループを作って指導を受けた。

四年と修士二年の三年間は、久野研究室に入り、久野・山口コンビに指導を受けた。

久野教授はやる気のある学生には厳しく指導し、やる気のない学生には、卒論のレベルがひどくない程度に指導されていた。

私にはとりわけ厳しかったし、山口先生からは私のアイディアの裾野が広がるように指導を受けた。

修士論文は先生方の指導で、卒業後日本化学会誌に掲載させて頂いた。

まさに至れり尽くせりの指導だった。

さて、それから50年ほどたって、後輩の木村教授が停年退職するとき、「慶應は落ちこぼれを作らない、そこがT大との違いです。やる気がある奴だけ面倒を見るのが教育ですか!」と教授生活を振り返っていた。

もし、私がT大に合格していたら、人間性を磨く機会にも、親身になって厳しく指導された機会にも遭遇しなかっただろう。

慶應義塾に巡り会ってのわが人生である。

勿論就職先も久野教授の推挙によった。

そして、社会人となって、実力・人間力は、どの大学を出たかには殆ど関係がなく、誰に指導を受けたか、恩師との出合いがまさに運だということにも気が付いた。

「おい、新田。オレの研究室に来て、自分がどれだけバカかよくわかったろう!」が、久野先生に学窓を送り出して頂いたはなむけの言葉だった。