北里柴三郎と慶應義塾

今朝、北里柴三郎の一生を小作品に取り纏めた映画を見た。

ベルリン大学ローベルト・コッホの研究室で研鑽を積み、ドイツ人には真似のできない我慢力と忍耐力で毎日24時間実験を重ねて、破傷風菌を純粋培養し、ペスト菌を発見する、血清療法を生み出すなど細菌学とその応用に金字塔を建てた偉人である。

東京医学校(現東大医学部)在学中に教授の論文に口出しして何度か留年したとか、海外の大学や研究所からのオファーを断ってドイツから帰国したあとは、脚気が細菌によるという東大教授連の誤りを指摘して東大医学部を敵にまわし、苦戦しているところを福沢諭吉先生の応援を得て、私立伝染病研究所を設立した。

その研究所が文科省により東大に吸収されることに決定すると、私立北里研究所を設立し、これが現在の北里研究所、北里大学になっている。また、世界に大流行したペストを港で食止めた業績は我が国にとって大きな功績であった。

森林太郎(森鴎外)は陸軍医として脚気を細菌によるものとの自説を曲げず、日露戦争では脚気による戦力の大低下をもたらした。これに対して、海軍ではイギリス留学から帰った高木兼寛の意見を入れてパン食を取り入れて脚気を克服した。その東大派バリバリの森鴎外は北里の発見したペスト菌が嘘だとデマを飛ばしたのも知られた話。

北里柴三郎は福沢先生への恩返しとして、慶應義塾医学部創設に無給で関わり、初代の医学科長・医学部長を務め、さらには日本医師会を設立している。

こうした北里柴三郎が、母国愛と独立自尊の精神で一生を過ごしたのを改めて思い起こすと、昨今の我が国、とりわけ旧制高校卒業生たちが社会を卒業して以降の我が国の政治家、大企業人、そして研究者などの独立自尊心のなさに、何も対策が打てない自分の無力さを感じるばかりである。